キツネをめぐる冒険

英語圏で SHINee を追いかける和訳アーカイブ

有名人の死を悼むことを恥じないで『ローリングストーン』180118

わたしの大好きな英文記事です。訳してみます。
 

 

 

 

有名人の死を悼むことを恥じないで

K-POPスターのジョンヒョンが先月亡くなってから、わたしは何週間もボロボロだった。スーパースターにこんなに悲しみを感じるなんて、頭がおかしくなってしまったのだろうか。

リッディ・チャクラボーティ 
ローリングストーン(インド版)』01/18/2018

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ヤン・スンミンによるジョンヒョンの肖像(Story Op.2 アルバム・アートワークより)

 

アーティストはわたしたちの内なる声だ。いちばん必要なときに話しかけてくれて、何度も、君はひとりじゃないよと支えてくれる。親友みたいに、心のなかを打ち明けてくれるし、わかってくれる誰かがいるという安心感も与えてくれる。だからわたしたちは、たとえ一生その人に会うことはなかったとしても、アーティストがアートを通じてわたしたちの盾になってくれたことに感謝している。その盾が死によって破壊されたときの衝撃は、計り知れない。

先月、韓国のグループ SHINee のリード・ヴォーカリスト、キム・ジョンヒョンが亡くなったとき、ファンダムは悲しみに引き裂かれ、エンターテイメント業界は一斉に喪に服した。シンプルにジョンヒョンという芸名で知られたこのシンガーソングライターは、世界最高峰の K-POP スターのひとり。27歳という若さでそのジョンヒョンが突然自殺したことは、名声を得る代償の大きさや、K-POP 業界の競争の熾烈さ、セレブを自死に向かわせる鬱の深刻さなどをめぐって、白熱した議論を呼ぶことになった。

[写真:最後のコンサートでのジョンヒョン。昨年12月]

ジョンヒョンが亡くなったあと、インターネットを賑わせた何百もの追悼記事には、自殺衝動や鬱症状を感じた場合にどうしたらいいかという様々なアドバイスがついていた。ありとあらゆる記事や訃報に「もしあなた自身や大切な誰かが落ち込んでいるなら、<自殺防止ホットラインの番号>まで連絡してください」というメッセージが添えられていた。

どこにいっても親切な気配りが見られたのは悦ばしいことだが、それはわたしが求めていたものではなかった。ジョンヒョンをずっと愛してきたファンとして、わたしに必要だったのは寄りかかって泣かせてくれる誰かの肩だった。それなのに、カウンセリングをおすすめされてしまうなんて。

SHINee はわたし世代のファンにとって、K-POP という世界の入り口になってくれたグループだ。そして、ジョンヒョンはわたしたちファンの旅路にいつでも寄り添っていてくれた。SHINee のメンバーとして。ソロ・アーティストとして。ラジオ番組のホストとして。この業界で過ごした10年のうちに、ジョンヒョンはベテランの地位を得て、スーパースターになっていた。だからジョンヒョンの死は、言うまでもなく、この世代でひときわ目立つ K-POP スターの死でもあった。ジョンヒョンを失ったことを受け止めるのがとりわけ難しいのも、当然のことなのだ。

[写真:SHINee の五人]

わたしにとって、ジョンヒョンが亡くなってからの数日は、悲嘆[※誰かを亡くして悲しむこと]と喪[※誰かの死を悼むこと]について数知れない質問を繰り返す日々だった。一度も会ったことがない人のことなのに、こんなに強烈な悲しみに襲われるなんて、頭がおかしいんじゃないのか? こんなふうに感じているのはわたしだけ? 亡くなったのはセレブなのに、こんなにボロボロになってしまっていいの? 本当に知っていたわけでもない(今後知ることも絶対にない)誰かのためにこんなに泣き暮らしていいんだろうか?

自分が訃報を読むやいなや号泣してしまったこと――しかも『ローリングストーン』のオフィスで――を覚えている。それに泣いてしまったことをすぐに恥ずかしく思ったことも。同僚たちが気まずさを押し殺してなぐさめてくれたとき、わたしはそもそもなぜ恥ずかしく感じてしまったんだろうと考えて、自分に腹を立てた。その日は呆然としたままジョンヒョンの追悼記事を書いて、そのあと、悲嘆の波に襲われて息もできなくなった。

こういうふるまいはメロドラマっぽいと思われるのがふつうだ。ジョンヒョンが亡くなってから数週間わたしが落ち込みっぱなしだったとき、だれもがそう思った。なぜ立ち直れないのか理解できなかった。ジョンヒョンはわたしの友達でもないし、親戚でも、伴侶でもないのだから。「おいおい、まだあの韓国人の男の子のことでヘコんでるわけ?」とか「いいかげん乗り越えなよ。何日も経ってるじゃん」みたいなことを、ファン仲間の子もわたしも言われていた。

ジョンヒョンと個人的に知り合いではないというだけで、わたしたちの悲嘆は自動的に無効にされてしまうようだった。でも、それはまったく納得がいかない話だ。だって、個人的にジョンヒョンを知っているかどうかに関係なく、この有名な人はわたしたちにとって大事な意味のある人なのだから。ジョンヒョンの記憶や、ジョンヒョンがつくった作品の記憶が、わたしたちの人生の記念碑的な瞬間につながっている。わたしたちと他の人たちとの関係や、わたしたちの人間としての成長にも結びついている。

[写真:SMTown ワールドツアーIV台湾公演でのジョンヒョン。2015年]

もう大好きなアーティストの新しい音楽が聞けないんだ、もう新しい映像が見られないんだと気づいた瞬間、内臓がよじれそうになる。それに、助けられなかったという無力感。何百万人もいるファンの群れのなかの、たったひとりにすぎない自分。いちばんいてほしいときにあの人はそこにいてくれたのに、わたしはあの人のために何もしてあげられなかった。そう思い知ったときの痛み。

誰かの死を悼むとき、引きずって鬱病になってしまわないように、できるだけ早く気持ちを切り替えるべきだとみんなが熱心に主張する。それには当たっている部分もあるけれど、悲嘆を押し殺すことは正解ではない。死には(それがどれだけ近い人のものだろうと、遠い人のものだろうと)いつだって、罪悪感や、悲嘆や、恐怖や、怒りがつきものだ。癒やしに向かっていくんだとしたら、そういった気持ちにぜんぶ向き合ってあげる必要がある。

クリスマス・イブの日。わたしはムンバイで長年続いているファンクラブが開いた、ジョンヒョンの追悼集会に出席した。SHINee やジョンヒョンの曲をかけて、ジョンヒョンがどんなに面白くて優しい人だったか、彼がわたしたちにとってどんな意味をもっているかを話し合った。「あなたたち以外に分かってくれる人がいない」とひとりのファンが認めた。わたしはそこに行って気づいた。ジョンヒョンの死を、わたしとまったく同じように悼んでくれる友達がいて、なんて幸せなんだろうと。

[写真:ムンバイでのジョンヒョン追悼集会で語るファン]

そのあとにも、その友人たちと集まってジョンヒョンを偲んで泣き、笑い、お酒を酌み交わした。ジョンヒョンがいなくなって K-POP 業界がどう変わってしまうか、SHINee というグループはどうなってしまうのか、みんなと話しあった。この友人たちと会っているときには「さっさと立ち直れ」というプレッシャーが一切なかった。そのことに気づいたときのカタルシスはかけがえのないものだった。

だから、あなたも、ゆっくり必要なだけ時間をかけて悲しんでいい。恥じないで。急いで悲しみを隠そうとしたりしないで。泣いて、叫んで、何かをボコボコ殴って、全部出してしまっていい。友達や家族に頼れないなら、ファン・コミュニティを探してほしい。ネットで FacebookTwitter のグループを探して、あなたがどんな気持ちでいるかを書いてみて。ファンダムがあなたを包んでくれる無条件の愛のなかに、どうか安らぎを見つけられますように。だって、あなたの悲嘆は正当なものなんだよ。

 

[動画:最後のコンサートで”Lonely”を歌うジョンヒョン]

 

rollingstoneindia.com写真や動画はリンク先を御覧ください。

 

+++日本語訳、以上+++

 

 

わたしはジョンヒョンが亡くなってからSHINee/ジョンヒョンを聞き始めた新参者です。家の事情で地球の裏側に長く住んでいて、J-POP も K−POP もよく知りません。ただ、ジョンヒョンが亡くなったというニュースは英語圏でも大きく報道されて、子犬のような目をしたその人と、メンバーの憔悴した姿は目にしていました。それと前後して BTS がいよいよ世界的な現象になって、英語圏でも K-POP が急にメインストリームに入ってくるようになりました。韓国語の音楽が日常的に耳に入るようになり、雑誌の表紙をアジアのアイドルが飾るようになったんです。西洋のかたすみにひっそり生きるアジア人にとって、それは大きな事件でした。そんな時代の変化のなかで、残されたメンバーによる韓国語カムバック作 "Story of Light" をたまたま耳にしました。ひとことで言うと、西洋音楽ばかり聞いてきた自分にもその良さがすっと入ってきて、バカみたいに衝撃を受けました。失礼な話「なにこれ超いいじゃん」と思いました。アメリカ音楽をたっぷり愛して踏まえた人が書いてることがはっきりわかるトラック。正確な発声。現代ダンスのような、攻めた振り付け。ジェンダーを撹乱するみたいなそぶり。リップシンクなしの圧倒的なパフォーマンス。演出のコンセプトも練りに練られている。え、K-POPってこんなん? 外国にいると高くてマズい和食のかわりに安くて美味しい韓国料理屋に食べに行くことがよくあるんですが、食堂ではどこでも必ず音楽番組がかかっていて、群舞アイドルが次々に出てきます。わたしにとっては、可愛いけれどみんな同じメイクで見分けがつかない人たち。それが K-POP のイメージ*1。でも、10年目のSHINeeはそれとはぜんぜんレベルが違う人たちでした(また訳せたらと思っているのですが、探してみると英語圏でも良い記事が出ていて尊敬されているように思います)。

そこからは Spotify/AppleMusic や YouTubeSHINee ばかり聞く暮らしです。自分でもどうかしてるってくらい、今日も沼にいます。でも、過去の SHINee を知れば知るほど、このすごいグループのまんなかの可愛らしい特別な人がもういないということが苦しくなって、彼の才能や優しさに震えるたび、同じ大きさの痛みがいっしょに襲ってきて、その振れ幅がどんどん大きくなって、気持ちの収拾がつかなくなるんです。長年のファンの方からみれば、あなたに何が分かるのよ?って話だと思うし、自分でもなぜこんなに悲しいのか、そもそもわたしはずっと地球の裏側にいて何も知らずにいたのに、いまさら嘆き悲しむ権利があるのかわからず、とことん困惑しています。情けないし申し訳ないです。メンバーはこれ以上ないくらい立派に前に進もうとしているのに、わたしより悲しい本当のファンの方がたくさんいるのに、知って数ヶ月のわたしがメソメソするなんて後ろめたい。甘えてる。大げさ。調子に乗ってる。でも好きになるほど辛い。だってものすごく特別な、かけがえのない人じゃないですか。ただ、この自分の辛さが本当に意味のあることなのか、酔ってるだけなのか、考えたらいやになるだけで。

そんな自己嫌悪になっていた昨日、出会ったのがこの文章です。英語圏にもこういう人がいてくれたということが心強くて、日本語圏にも届いてほしくて、勝手に訳しました。『ローリングストーン』みたいに権威ある音楽雑誌(インド版ですが)のライターともあろう人がこんなにボロボロになってたなんて変に誇らしくて、しかも、そのパーソナルな痛みをシェアしてくれてたのが、すごく嬉しかった。英語圏のシャヲルは、自分たちはほかの K-POP ファンより平和的だって(おたがいディスったりしないし仲間を大事にする、しかもそれを誇りにしてるって)よく書いてる気がするんですが、このライターさんも本当にそうだなと思って。自分もつらいのに泣いているシャヲルのために書いてくれてありがとう、同じ気持ちでいてくれてありがとうって、心の中で抱きしめたいくらいです。わたしは知るのが遅すぎたせいで、無邪気に好きになれなくて、苦しい旅路になってしまったけど、それでも、この特別な魂をもった人に出会えたことを幸せだと思っています。これからだってもっと好きになって、そのたび悲しくもなるだろうけど、わたしの悲しみは後ろめたくなんかない。”ぼくの心は飾りなんかじゃない”。あなたの悲嘆は正当なもの。

そう、キーくんが夏に日本のラジオで “Sunny Side” を紹介しながら、わざわざはっきり言ってくれたこと。「いつもハッピーじゃなくてもいい」「この曲を聞いていいきもちになったら笑っていいし、泣きたくなったら泣いていいよっていつも教えてあげたかったんです」っていうのもつい最近聞いて、すごく支えになりました。わーん。

180731 Step One (J-WAVE/Radio) 2日目トーク

わたしの後ろめたかった愛に、悲しみに、居場所を作ってくれてありがとう。このブログはわたしを救ってくれたこのメッセージを、わたしよりもっと必要としているだれかに伝えたかったから作りました。そして、たぶん、そういう人たちに出会えるからSHINee のことがどんどん好きになるんだと思います。この愛の、のびしろ! はんぱない! そこにいつも悲しみが混じっていたとしたって。そして、あなたたちの命をぜんぶまっすぐ祝福できるように、恥じないで、わたしも生きていく。

 

読んでくださってありがとうございました。

 

「先に逝った人について新しい事実を知ってしまったら、そのひとは消えてくれない。どんどん大きくリアルになっていく」
Rebecca Makkai, "The Great Believers"

 

 

 

*1:SHINee のおかげでいろいろ聞くようになって偏見が修正されつつあることをお知らせ。K-POP 奥深い。